朝の続きです

いや、内容的に日記じゃないんですけどね。
というわけで【推理経過】の経過ですが、一応また畳んでおきます。


死亡推定時刻

メモ取りながら番組を一通り見ましたが、細かい人間関係はひとまずさっぱ忘れることに決定。関係の強弱はあまり関係ないとのことですしね。いきなり複雑に考えると間違いの元。


で、まず気になったのが、宗谷正太郎の依頼で急きょ佐多医師が判定した「被害者:立石の死亡推定時刻」の信憑性でした。
佐多医師の娘・真紀によると、劇中の舞台である海馬地区は6月でも風のせいで室内で長袖のシャツを着ていても寒気を覚える場所。ストーブすら使用してます。室内でこれですから、「屋外&岬の突端&夜と揃った死亡推定時刻から遺体発見時刻の忘却の座周辺」もかなり寒いはずです。風、恐るべし。
遺体から熱が奪われると死後硬直の進行が遅くなるので、それを考慮に入れないと実際の死亡時刻よりもグッと遅い時刻を死亡推定時刻としてしまいます。*1つまり、遺体発見場所=犯行現場と仮定し、佐多医師の判定を間違いと考えると、犯行時刻が被害者の最終目撃時刻よりも前になってしまう矛盾が発生しかねません。いくらなんでもそれは無いだろう、ということで「佐多医師が判定した、立石の死亡推定時刻は正しい」と考えます。

殺害現場

さて佐多医師の判定が正しいとした場合、ひとつ問題が発生します。
発見時の遺体の、あの背筋を伸ばした姿勢での硬直を再現するには、発見寸前までの間、何らかの支えが必要なはずなのです。しかし遺体発見時そんな支えは無く、犯人が直前に外したとするにしても、主人公たちに先行し気付かれずに実行するのは至難の業です。
もちろん「犯人はそれをやり遂げたんだ!」と言い張ることは可能です。でも、【推理経過】で指摘した「卓也の足跡の上を横切る、車椅子のタイヤ跡」を踏まえると、「別の場所で硬直した遺体を、車椅子を使って忘却の座まで運んだ」と考えたほうが私にはしっくりきました。劇中でも、正太郎を乗せて日向が忘却の座付近まで押して行けてます。


では、立石殺害現場はどこなのかが問題になります。
今度は遺体運搬に使われた車椅子が手がかりです。恐らく正太郎の物を使うのが海馬地区では最も手っ取り早いでしょう。もしかすると佐多邸にもある可能性がありますが、画面上では見ませんでした。たぶん。
地区外から持ち込まれた可能性については、船の利用は誰かが所持している描写がないので×、車の利用は「劇中時間が実は2008年でトンネル開通済み」でないと無理。正太郎がトンネル工事に使う部材の5月分請求書をチェックしていたので、劇中はまだ2007年と判断しました。*2
遺体運搬に使われた車椅子は、トレッドパターンから見て正太郎の外出用の物と同じ。実際に正太郎の物が使われたのなら立石の殺害場所は宗谷邸が推測され、先の死後硬直の問題を踏まえると遺体の一時的な隠し場所は屋外ではなく屋内であるはずです。それも車椅子が置かれている庭に近い場所が適しています。そして明らかな変化があったのは、物置の中の白布。以前、都井がTVを仕舞いに来た際よりも高くなっています。

真犯人


佐多医師が判定した立石の死亡推定時刻内に、宗谷邸に居た誰か。そして車椅子を忘却の座へ押していく際、タイヤの跡と同時に足跡を付けても怪しまれないようにできる誰か。それが真犯人のはずです。
宗谷邸内で長時間アリバイが立証できないのは正太郎と都井。短時間アリバイが立証できないのは泰江*3。車椅子を押していっても怪しまれにくいのは、日向の靴を履けばごまかせる泰江。正太郎(歩けたとしても)と都井が女性物の靴を履くのは無理があります。


以上の流れから、自分は宗谷泰江を真犯人と推理しました。






*1:周囲の気温が0℃だとさほどでもありませんが、10℃くらいだと0℃時の数倍死後硬直遅くなるとか。劇中に主人公・卓也が読んでいた新聞によると、目森市の6月19日の予想最低気温は12℃ですから、犯行が行われた23日の忘却の座も差し引きそれとほぼ同等の気温でしょう。

*2:正太郎が泰江に「あともう少しの辛抱云々」とも言ってましたしね。

*3:トイレに行っていたという約10分間がフリー。真紀と日向はフリーの時間帯が泰江の行動に主導権を取られているので除外。